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ペンタックスとラジオと生活と

PENTAX K-S2を振り回す休日記

「旅は一粒で3つおいしい」自分流・鉄道旅行のノウハウ① 

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 (2016年7月 いすみ鉄道久我原駅にて)

 今回は鉄道旅行する際に気をつけていること、ノウハウと思しきもの、自分語り等々を書いていきます。全部で4回に分けて、アイデアが思いつく限り綴ります。

 旅は「一粒で3つおいしい」

旅行と言うと、名所やおいしいものにたどり着くためにパックツアーを組み、新幹線や飛行機でさっさと目的地まで飛ばし、目的地で観光を満喫し、ビューンと帰ってきたら「楽しかった!」と満足し、撮った写真をパラパラめくる。そういうものを思い浮かべる人も多いはずです。

私は別にパックツアーを批判するつもりはないのです。確かにこれもまたひとつのスタイルを言えると思いますが、第3者からすれば何かもやもやする。そう、この「目的地で目標を達成するオンリーの旅」には、どことなくもったいない印象を受けるのです。いまいち「旅」というものをしゃぶり尽くせていない、故にもどかしい。一つの旅で一粒しか味わていない、と。

その原因に、旅を自分の手で作り上げた方が楽しいこと、目的地オンリーの「点と点」ではなく「点と線」の旅にも旨味が隠れていること、そして旅が終わっても余韻によりひたれること、この三つの点が見逃されがちだと思います。

 

「旅は一粒で3つおいしい」

①事前に計画を練る

②観光も「移動」も両方愉しむ

③旅行日記をつける

 

①事前に計画を練る

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 (2016年9月 愛媛県JR予讃線灘駅駅ノート

中高の修学旅行で街を自由行動する時に、どこを何時ごろどの交通手段で行くか、その場所には何分くらいいるか、グループで計画を練った記憶がありませんか?

計画を練るのは面倒で仕方なく、先生にルートを報告しないといけなかったことはありませんか?

「修学旅行くらいは各班気ままに自由に行かせてくれ」「先生に逐一報告とか自由が無さすぎだろう」、そんな愚痴を吐きながら計画を立てたことはありませんか?

私はその典型的な学生でした。「自由行動と銘打っておきながら・・・」と恨めし気に思ったものです。このとにかく計画を練らせる背景には、おそらくグループワーク力の強化か、あるいは生徒が勝手に危険な場所に行かないようにとの先生の配慮があったのかもしれません。いずれにせよ、あまり快くは考えていませんでした。

が、計画を練る時は面倒でも、実際に行って見ると思いのほか満喫した記憶があります。中学時代で行った高山では飛騨牛の串焼きをグループの部活仲間と共に食べ歩きし、高校時代での京都では知恩院の正門をバックに記念撮影をするなど、不自由な思いは何一つしません。むしろ充実した、楽しい思い出ばかりの自由行動でした。

一見計画と言うと、不自由なイメージが頭をよぎるかもしれません。しかし計画を立てないで赴くと、「自由過ぎて」何をすればよく分からなくなってしまうのです。ある程度計画を立てれば、どこに行けばいいのか、何分くらい過ごせるか、見通しをつけることができます。つまり「何をすればいいのか分からない」状態を回避できます。極めて逆説的ではありますが、何らかの制約がそこにあるからこそ、充実した旅を満喫できるのです。

そして自分で計画を立てることで、パックツアーにないような場所に行くことも可能になります。それだけではありません。自力で各地を効率的に巡るルートを作り上げたときの爽快感実際に自分の計画が上手くいったときの達成感、これは行くことの難しい場所(秘境駅など)に行けたときほど、より深く味わえるものです。何時間も時刻表とにらめっこし、本数の少ないローカル線に苦しめながらも作り上げた計画表は、それ自体が財産になるのです。

②観光も「移動」も両方愉しむ

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 (2017年2月、JR山形線大沢駅で列車の到来を喜ぶ)

 目的地には新幹線や特急でバビューン。これも確かに一つの手です。移動はあくまで「空白の時間」と割り切り、時間が短ければ短いほどよい、と考えるのも決して悪いことではありません。(私も新幹線好きです)

が、移動時間は旅に割ける時間のうち、多くを占めます。「空白の時間」と割り切ってしまうのは少々もったいないと思いませんか?そう、移動の時間もまた「観光」として見れば、旅を楽しめる時間が増えるのです。

ここ数年は「ななつ星in九州」や「TRAIN SUITE 四季島」などの豪華寝台列車の登場に代表されるように、「移動」すること自体も旅の楽しみにするという風潮が強まりつつあります。これは良いことです。しかし私のようなビンボー人間には豪華寝台列車は異世界の存在。生涯叶わぬ夢に過ぎません。

そこで全ての人が安価に乗れるのが在来線の列車です。何十万円なんて必要ありません。それどころか特急券もいらないのです。春夏冬のシーズンで18きっぷを握りしめていけば、破壊的安価でのんびりと「移動を愉しむ」ことができます。

一両運行のディーゼル列車で豊かな原風景をのろのろ巡れば、たちまち心も豊かになれます。暖かい日差しの中で心地よく居眠りする。起きて車窓を見ればのどかな山河が続く。向こうの席では地元の高校生の群れがおしゃべりをしている。そんな新幹線では出会えない風景に、きっと出会えるはずです。

もちろん名所の観光も忘れずに。乗ってばかりでも疲れてしまいます。観光と言っても、コアなもののみを追求する必要はありません。ベタな場所も当然行くべきです。観光と移動、両者をバランスよくミックスすることで記憶に残る旅ができます。

 

③旅行日記をつける

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 (2016年8月、北海道美瑛町で、広大な風景を望む)

 旅行で写真を撮らない者はほとんどいません。多くの人は写真を撮ってその時の記憶を留めようとするものです。そういう意味では旅する人は皆記録を残しているといえます。

しかし写真だけでは撮った時の状況や心情をはっきりと伝えることはできません。撮った時にはどういう気持ちだったのか、これは文字にしない限り記憶頼みになります。そしてその記憶は、哀しいことに日々の忙しい中で忘却の彼方に追いやられてしまうのです。

そこで私は旅行日記をつけることを心がけています。写真も撮って当時の状況を文字に起こすことで、その時のフィーリングを忘れないようにしているのです。

文字にして書くという行為には不思議な作用があります。それは旅の記憶をこころに定着させること。受験勉強の時に英単語や世界史の用語を何度も書いて覚えた人もいるかもしれませんが、まさしくこれと一緒です。例えば一昨年に初めてひとり旅をしたときの細かい記憶も、日記をつけて文字にしたおかげで覚えています。ルートは何も見なくても諳んじることができます。その旅の第3日目に乗った山陰本線の雰囲気もはっきりと覚えています。

また文字に起こす方が、写真よりも心に残ります。写真は漫然と撮っても記録されますが、日記は当時の心情や雰囲気・感想がどのようなものか、わざわざ頭を使って振り返る必要があります。その過程で記憶に定着するのです。例えば高校時代の修学旅行の写真は、卒業アルバムにある数枚程度しか残しませんでした。それにも関わらず、雪舞う延暦寺で親友と鐘をついたことなどの細かいことまで覚えているのは、ひとえに旅行日記のおかげだと思っています。

そして旅の楽しい思い出は、生きる力になります。つらいとき、先が不安で仕方がないとき、真っ暗なことしか思いつかないとき、心の逃げ込み口になるのが楽しい旅行の経験です。ローカル線の心地よさを思い返せば、少しこころが軽くなり、わずかながら豊かな気持ちになれます。そしてその楽しい思い出を風化させることなく、こころに留めてくれるのが旅行日記のひとつの役割です。

 

むすび

今回は事前に計画を立てる、観光も「移動」も愉しむ、旅行日記をつける、この3つの重要性についてお話ししました。いずれも旅の機会を無駄にしないためにも欠かせないものです。

今回が総論なら、次回は各論になります。各々「計画編」「実際編」「記録編」と名付けて、実際の経験を交えながら、気ままに振り返りたいと思います。