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PENTAX K-S2を振り回す休日記

【まいにちコラム】コラムの着地点が見えない話

 

 2回目ということで、早速500字を目安にどうしようもないことを書こうと思っている。ネタは少なくとも、1か月は尽きないだろう。読んだ本の話、最近起こった話、昔の話、ポンポンとアイデアは思いつくし、タイトルも3つほどすぐ挙げられるのだが、困ったことがある。文章の書き方を忘れたのだ。

例えば先ほどまで、

いつ頃だったか、数年前の話である。夕方ニュース番組の特集で「餃子の王将」の過酷な新人研修が取り上げられていた。その具体的な内容は以下のリンクに譲るとして、ここで注目するべきなのが、スパルタ教育への見方の変遷である。

見た時が随分幼いころだったので、「大人ってすごいんだな」という浅薄な感想を思いつくにとどまったが、そこには「大人になるには厳しいことを乗り越えないといけない」という概念が頭にあったと思われる。丁度自衛隊の訓練やレスキュー隊の指導のように、厳しい鍛錬が未成熟な青年を一人前の大人にする―それが店長というごく一般的な役職に当てはまるかは別にして―現代の通過儀礼として当時は当たり前のようにあったと思われるし、現に自身がそう考えていた。

このスパルタ教育が否定的に見られるようになったのはいつごろか、何となくワタミあたりのブラック企業大賞が根源だと考えているのだが、

 ここまで書いた。350字まで達しており、あとはどう結論をするかだが、どうも考えがまとまらないのである。途中で自分の書いていることが本当に馬鹿馬鹿しく浅学だと思われると、どうしても、書く意思がなくなってしまうのである。仕方なしに引用という形で残骸を残しておいた。これである程度の体裁は保てるだろう。

書けないのは陳腐な結論ながらやはりツイッターからの影響か...と思っている。丁度パソコンで文字を打ちなれていると漢字が書けなくなるように、140字のつぶやきに慣れると「序文、本文、結論」のフレームを忘れてしまうのである。たかが日記だ、別にいいじゃないかというのもあるかもしれない。が、科学的論文の書き方にすっかり馴らされた身にとっては、このフレームでないと気が済まない。何ともしがたいことである。

駄文と銘打っても、できるだけ良い文章は書きたい。が、そもそも駄文に進歩を求めるのは進歩主義に毒されているのか、果たして。「良い駄文」という矛盾した形を追い求めて、当分は彷徨うことになるのだろう。