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PENTAX K-S2を振り回す休日記

『私の夏紀行』 第一日目 中津川の馬籠宿

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 この写真が旅の最初の一枚になる。

今年の8月19日から9月5日までの18日間、私は鉄道旅行の集大成にと、かつてないほどのロングスケジュールで鉄道旅を決めることにした。無論たった一人の身軽な旅である。目指すべきは北海道・稚内宗谷岬―日本のほぼ最北端まで行く。これは昨年果たせなかった北海道旅行のリベンジも兼ねていた。

ただ、そのまま北海道に向かうのはもったいない。せっかく日数があるのだから、どこか寄り道しても遅くはないのではないか。乗りつぶしの地図を広げて見ると、中央西線関西本線、それに大阪環状線付近が未乗を示す青線を示している。ついでにこれらを赤線に、つまり完乗してしまおうと思い立った。

 

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 そう決め込んだら真っ先に西に行く。自宅を早朝の4時42分に出発し、西に向かうべく八王子まで行く。そこからはE233系ではなく信州カラーの211系に乗り込んで、沢山の登山客に揉まれながら中央東線西行した。

道中重大なトラブルが起こりやしないか不安な心境を抱えたり、うとうと眠り込んでしまううちに下諏訪に着いた。9時38分。いきなり3時間もの長時間乗車に疲れを覚え始めた頃だったから、諏訪湖の湖面の低く澄んだ景色がありがたかった。

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 下諏訪は40分程度の短い滞在だった。コンビニメシを買い込むと大慌てで中央本線松本行きに飛び乗る。混雑する車内では大荷物を抱えながら立つ。鉄道の難所・みどり湖の大トンネルを駆けるともう塩尻であった。

10時41分塩尻着。もたもたな乗り換えだったためか、中央西線中津川行きの2両は既に満席である。しゃあないなあ、若いから大丈夫だ、と自分に言い聞かせて立ちを我慢する。が、それも発車後20分も経てばクロスシートが空いてくるから、大人げなしにパッと座る。木曽川の岩々が陽に反射し、白く輝いて映えた。何時間も飽かずに眺めていたが、夢中になり過ぎたのか、「寝覚めの床」はどこかよく分からなかった。

終点中津川には12時53分に着く。激しい日照りのなかで馬籠(マゴメ)行きのバスを待ち、13時20分に駅を出発する。バスは市街地を抜けると山道をグングンと登っていく。あまりに山道が長く、見慣れない地名が続くものだから、たまらず「これは馬籠までいきますか」と運転手に尋ねる。そうこうしている内に終着だった。

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 馬籠宿は旧中山道を代表する大きな宿場町として栄えた。急坂にこしらえられた町で、下りが名古屋・京都方面、上りが塩尻甲府方面になっている。今はすっかり外国人観光客も大勢でやってくる岐阜の一大観光スポットと化したが、このように上りから見れば、ちょっと江戸時代の旅人気分になれる。ただの鉄道ファンにも風流心を感じさせてくれた。

街道に並ぶ店からは「そば」「かき氷」のお誘いが待っている。この日は大変な猛暑であった。だからその手に乗らざるを得ない。最も乗りたくて仕方がなかったのだが。

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 馬籠の急坂を上り切ると展望台がある。約2100mの恵那山は左手に若干の雲を被ってある。もう汗だくだから地べたに座り込んで景色に見とれると、横に子供2人がヤッホーヤッホーとこだまを試している。甲高い彼らの声は果たして塩尻側から遅れてヤッホーと帰ってくる。私も何だか面白い気分になってヤッホーとやってやろうかと思ったが、大声はとうの昔から既に出なくなっていた。

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 やがて展望台を下りて馬籠宿に戻り、食事処に寄って「もりそば」と「あんみつ」を注文する。私の汗姿見苦しさに堪えかねたか、過度の疲労姿に同情を覚えられたのか、これでも食べて元気だしな、若いモンなら食えるでしょ、とかぼちゃの煮つけとなすの甘露煮をサービスしてくれた。私はすっかり元気を取り戻した。

去り際、会計を済ませると、にーちゃん元気でな、と店主にエールを送られた。すっかり嬉しくなって、はい、また来ます、ありがとうございました、と返したが、その時はただありがとうございましたと別の店員から事務的な返答のみがあった。

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 馬籠宿を下ってバス停を通り過ぎると雰囲気は一転、観光客の喧騒とは無縁な静かな道に行き当たる。このあたりは観光マップには「馬籠城跡」の表記があるが、客は馬籠宿に殺到するばかりで誰も見向きはしなかった。しかし、私にとっては都合がいい。人のうるさいところは日常でたくさんなのだ。秘境駅だの、何もない終着駅だのが好きなように、人もなく何もないところに居場所を感ぜられるアホウなのだから。

この場所は、私の記録ノートには「諏訪神社」とある。馬籠城跡を通り過ぎて400m程度の先にある、人気の感じられない静かな杜である。先ほどの馬籠宿の喧騒が「ケ」ならば、この神社は「ハレ」にふさわしいと言えよう。

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 クモの巣に恐怖しながら境内に着く。この社の他には物置小屋と能舞台のようなちいさな舞台がほこりをかぶっているのみである。この杜の醸す神秘的な雰囲気にひかれて、いくらかお賽銭を奉ろうかとおもったが、やはりクモの巣が邪魔をする。仕方がないからバス停に戻り、五平餅を1本平らげてから帰りのバスに乗った。

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 16時55分に中津川を出て18時18分に名古屋に到着する。これで中央線は東西全て完乗した。その後は関西本線で亀山まで行き、そのまま加茂まで乗り継ぐ。だが、亀山―加茂間はまさかの非電化路線。それも車両は木次線芸備線などの伝説の秘境ローカル線でよくみられるキハ120系である。その2両編成に乗ると、乗客は割合多いが車内は薄暗く、どことなく心細い感じがする。

20時10分に亀山を出発するとキハ120系は印象に反して真暗闇を全速力で疾走する。おかげで日記を書く手が列車の揺れでガクガクに揺さぶられた。しかし何とも頼もしい。

亀山の次の関駅では隣の女子高生3人がしきりに窓を見ている。振り返って車窓を見ると、夏の打ち上げ花火がドドンパと絢爛に夜空に広がっている。乗客の皆と花火を眺めながら、今日一日の成功を確信するのであった。

加茂に降りて列車を待つと大阪環状線同様の接近メロディが流れた。田舎風情の非電化セクションとは打って変わって、関西本線は加茂以西は大和路線と名を変えてアーバンネットワークの一員となる。関西に来たとの感慨に浸りながら、221系奈良行きの座席にゆっくり腰を下ろした。